上杉鷹山から学ぶ組織改革の方法 1 

上杉鷹山とは?


上杉鷹山が生きた時代は江戸時代、将軍綱吉の時代である。上杉氏が治める米沢藩は極度の財政難に苦しんでいました。

莫大な借金と年々膨らむ赤字。それはまさに破産寸前と言える状況であった。鷹山は他家から来てそんな上杉米沢藩の

藩主となり見事に藩体制を再建した人物なのである。その手法や方法論は現代にも通用することが多い。

また、この時代の米沢藩の状態というのは現在の日本(2005年著)の状態と酷似しています。

さらに言うと、この時期の江戸時代の社会状況自体が現在の日本の社会状況と似ているのです。

そのような時代背景と逼迫した藩体制を背負いながら再建に成功した上杉鷹山の哲学を学ぶことは

たいへん有意義なことだと思うのです。




武士の意識改革


上杉鷹山がまず初めにしたことは武士たちの「意識改革」である。

戦国時代は遥か昔のこととなり、元禄文化が花開いていた江戸時代において、武士は今日の役人と同じである。

つまり、鷹山がまず最初にしたことは「役人の意識改革」であった。

具体的には「古いしきたりや格式の廃止」「差別意識を無くす」「情報公開」の3点である。

上杉氏は戦国時代から続く由緒正しき家柄であり、最盛期には120万石を領していた。

ところが鷹山が藩主となった時には度重なる改易減石で15万石を領する程度になっていた。

しかし、そんな状態になっていたにもかかわらず、上杉藩の武士たちはかつて120万石を領していた時の

華美な風習や格式を廃止しないでいたのである。

当然それには莫大な費用がかかる。

また、収入が実質10分の1程度に減っていたにもかかわらず、武士たちの数を減らさなかったのである。

なんと藩の支出の90%が人件費だったというのだから驚きである。

そんなことを続けていたから、毎年の赤字は莫大になり、もはや借金でさえもできる限界になりつつあった。

やがて、下級武士には給与を払えなくなり、民衆や下級武士は貧困に苦しむようになっていました。

そこで鷹山は「古いしきたりや格式の廃止」を手始めに実施したのである。

つまりまずは無駄を省くことから始めたのである。

そして次に、上級武士と下級武士、そして、武士と農民の間にあった差別を無くすことをしたのである。

それまでの体制というのは、まず現在の大臣にあたるような武士が藩主と重要事項を決定し、

そしてその決定を上級武士に伝え、上級武士が下級武士に伝え、最後に農民に伝えられるという形式をとってきました。

一見するとシステマチックな方法で、現代でも多く使われている組織システムではあるが、

実はこのシステムには弊害が多いのである。


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